ぶつぶつ…

2018年10月21日 (日)

秋桜の咲くころ

このまま秋も冬も来ないんちゃうの?

ってな、怖ろしいまでの暑さは何処へやら、

台風襲来の後、秋が訪れています。

このごろは橙色の外来種が増えてきて駆除しても追い付かない。

それでも休耕田の秋桜を愛でられる。うれしいです。

Img_4892 よく行くケーキ屋さんの隣です。

Img_4890 薄紅でなく濃い紅は色の再現できなくて。

若いころには「暑いなぁ」「寒いなぁ」だけだったのが、

いつの間にか草木や鳥や虫の声で季節の移ろいを感じられるようになっています。

あとどれだけ見られるんだろ。

秋桜、好きな花です。




2013年10月28日 (月)

第3回大阪マラソン参加した記録①~前日まで~

去年の大阪マラソンは抽選外れた。

11月開催。走るなら丁度エエ時季。走りたいけど抽選落ちんで走れへん。

「来年は絶対当たりますように」と思った。

今年応募したのはエントリー開始日ではない。

「絶対当たりますように」という思いは二、三割。

「当たってほしいなぁ」「走れればエエのになぁ」という気持ちが大半を占めた。

そやけど当選通知が届いたときはメッチャ嬉しくて、パソコンの画面見て大声出して喜んだ。

「あ、別海…」。

そう、一ヶ月に二度もフルマラソンを走らなアカンやん…。エエんか?エエんか?

身体はもちろんのこと、気持ちを持続させることが出来るんか????

それは重大な問題であった。

   

別海から帰ってきた週は、予想外れで仕事多し。残業したらアカン日でも上司に申し出て残業せざるを得んかった。

まぁ走ることは休みにしてたけど、精神的な凹みは増えた。

病気再発?ってな状態、実は別海前から出とったし。

ほやから大阪では二泊するつもりしてたけど、前泊だけにした。早く帰宅したかったから。

10日くらい前から、台風26号に続き台風27号の影響で天気予報は雨ばっかり。

マラソンの前週はまともに走ったん一回だけや。ああ、こんなんでエエんか?

マラソン、なめとんのか?と言われても仕方ないような生活やった。

26日の朝、駅までの長靴履かんでもエエ&傘持たんでもエエ。ああ、よかった~。

毎日歩く墓の前「おとうさん、ばあちゃん、雨降らさんといてくれて有難う。行ってきます」と通り過ぎた。

Img_3582 インテックス大阪。

ここが受付会場。いやぁ、遠いわ、メッチャ遠い!!!!

コスモスクエア駅からも遠いけど(徒歩15分)、「明日走り終わったあと、こんな道のりをくたくたになった身体で歩いてかなアカンのぉ」と考えるだけでくたびれた。そんな遠さ。

自分ちから最寄駅まで歩くより遠いんやで。はぁ…考えたくないが考えてしもたがな。

ランナー受付を無事済ませ、隣接するEXPO会場へ。

いやぁ、ここもくたくたや。何やろ?早く出たくて離れたくてって、そんな気持ち。

靴下は買うた。他に欲しかったものもあったんやけど、そのブースでは声掛けたくても店員さんには無視された(買いたいオーラ出しとったのになぁ)。

人の多さかな?一通りは見てみたものの、半時間くらいで会場を後にした。

ああ、また15分歩けってか…。

Img_3583_5 明日はここにどれくらいで走ってこれるんやろう…。

そう思いながら駅まで歩いた。

遠いなぁ。

2013年6月10日 (月)

紫のバラ

駅までの経路にあります。

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今日の帰り、この花はもう無かったけど蕾が二つありました。

明日は開くかな?

雨やから無理かな?

2013年5月19日 (日)

咲いています

毎年母の日には、鉢植えの何かを贈っています。

切り花やと枯れればそんで終わりやから。

鉢植えは母が直植えするんで持ちがいいから。

まぁそんな理由なんですが

このカーネーションとミニバラ、何年か前に贈った花です。

Sn3d1043

小さくて何が何だか分かりませんね

Sn3d1044_4 真ん中のいちばん小さい花。

隣のカーネーションはこんなんです。

Sn3d1045_3 

もう10日くらい前からいっぱい咲き始めて、既に仏壇のお供え花になっているものがたくさん。ほやもんで、坊主になっています。

蕾いっぱいやからね、も少しすればいっぱい咲いてきます

2012年10月 1日 (月)

台風過ぎて

なんちゅーこと!

運悪く、ただいま大潮。そして台風最接近と満潮時がほぼ同じ。

それでなくても、昨年の地震で地盤沈下していて、砂浜の高さもぐぐぐーんと低くなってしまっていて、ってな状態。

「浜?近いなんてもんじゃない。あれはうちの庭です」と云うてもエエくらいの至近距離。

目の左側と云うてもねぇ、満潮に最接近なので「さぁ逃げるぞ」と、避難準備万端整えました。

風向き変わり、雨の降り方も変わった。恐る恐る浜を見ると、「うっそ」と思わず口走っていた。海面が腫れている。浮腫んでいる、というべきか。そんな状態。

「こりゃヤバイんちゃう…

さっと動けない年寄と、とんでもなく人見知りの強い猫が居る。

動けるうちに…と、満潮手前で「少しでも危険回避」と西へ避難することにしました。

避難、というても避難所へは入れません(猫は入れてもらえないから)。

万が一、高潮になったとしても、塩浜街道より西へ行けば生き物は助かる。

そう思いました。「おかあさん、行くよ」と母とめりを無理矢理連れ出しました。

家の前の狭い道路、南へ行くと川ですよ、川。

仕方ない、地が低いから。

運転することも危険なくらいの大雨。

のろのろ運転で、なんとか塩浜街道を横切り、公民館の駐車場へ。ココなら安全。

避難所として開設されているので、明るいし何台か既に駐車されていました。

隣の消防団では、人の出入りがちょろちょろあった。

雨避けて自動車停めて、カゴに入れてきためりを抱っこして。

30分ほど居たでしょうか。満潮時刻が過ぎたので帰ることにしました。

川になっていた道路は、水が退いていました。

風は完全に西風となっています。玄関に入るとき「これ、冬の風やん!」と思わず叫びました。

それから一時間するかしないか、東の空には満月が。

Img_3458 これは今朝の日の出時。

昨日の荒れ模様がウソのような日の出、穏やかな海。

我が家の被害は、庇が飛ばされました。取り付けてもろた業者に修理を依頼しました。

ああ、物入り…。

にゃあは流されていました。にゃあだけ。

ミケもちびもちゃもちびちゃんもねこちゃんも流されてへんのに、にゃあだけ。

「此処なら流されることはない」ってトコにしたのに。

台風は怖いです。いや、自然は怖い。怖ろしい。

我が家は庇が飛ばされるだけで済んだけれど、余所は浸水したり、流されたりしている。高潮高潮、と云いながら、ウチはその被害をまともに受けたことは未だありません。家も自動車も潮水を被っているけれど、怪我することには至っていない。

水と乾パンと非常用チョコレートと猫のかりかりとその器。

懐中電灯とバスタオルとタオル。

これらが役に立つことはありませんように。

2012年9月28日 (金)

たんすのこやし

見合いして半年経たんうちに結婚した同級生に言われた。

「あのな、小さいものでもな、こつこつ買い溜めとかなアカンで。わたし、急に決まったからさ、てんてこ舞いなんさ。ゴミ箱一つから買い揃えやなアカンのやもん。【経験者は語る】やで。よぉ聞いときな。結婚なんてしやへん、と思てたわたしが急にすることなったんや。少しでも財布に余裕があるときに、ひとつひとつ買うんやに」と何度も言われた。

もう20数年前のことである。

彼女に言われたとおり、箒も塵取りも箸置きも、鍋も買った。傷心旅行で訪れた町でウェッジウッドの大小の皿とティーカップもそれ用の皿も(当時、そのシリーズは日本未輸入品)、18-12のカトラリー一式もランチョンマットも買い揃えた。

「着物なんて着る機会ないんやから要らへん」と口がすっぱくなるくらい云うたのに、母親は「親の務めや」と夏と冬の喪服、一つ紋の色無地、訪問着(これは成人式のときに作ってもらった・振袖は無し)、道行き等々買い揃えた。紬のアンサンブルと小紋は自分で作った。袋帯と名古屋帯も自分で作った。

これらぜーんぶ箪笥の肥やし。

陽の目を見ることは無い。

だからというて、捨てる気にもなれない。

2012年7月19日 (木)

三匹の猫は居ないけれど…

六年半ぶりに国際線に乗りました。

六年半ぶりに里帰りしました(って、自分の御郷は日本なんですけどね)。

POOLE。

わたしが暮らしたEnglandの町です。もう一つの故郷。

大学というところで勉強したことのないわたしには、かけがえのない学生生活を送ったところです。

何物にも代えられない時間。エエ歳した女の我が儘を聞いてくれた母のおかげでもあります。

学校はすっかり変わりましたが(知った先生はだーれも居ない)、学校のある町もPooleも大きく変わってはいない。けど小さな違いは沢山ありました。そりゃそーよね。人も町も生きているのだから。

三匹の猫は既にあの世です。あの子たちには会えないけれど、会いたくて会いたくて会いたくて仕方のなかった人たちに会ってきました。

しばらく、そのことを記録します。

2012年7月 7日 (土)

つばめさん

今日は三時間走の予定でした。

目覚まし時計が鳴ったときは雨ざーざーの音。それでも一瞬「走りにいこか」と思ったのですが、稲光が見えたので止めました(わたしは雷さんが大の苦手)。

二度寝しようとしたんやけど、どういうわけか今朝は眠れない。まぁ珍しい

漢字パズルしながら布団の上でごろごろしていました。

普段より遅い時間帯にゆーっくり朝ごはん食べて、着替えて、やっと出発。

目当てのものを買わず、今回は「買わんとこや」と思ってたものに散財してしまいました。まぁいつかは買うつもりやったんで、少々早まっただけってことにしておきます…

四日市へ戻ってからもアチコチ周り、最終的に四日市市内のショッピングセンターへ。

ここでエエものを見つけました。

Sn3d0765 燕の巣。

三羽しか居ないように見えますが、四羽居ます。

雛ちゃん、巣からはみ出しとるのに、まだ親が獲ってくる餌を待っているんですね。

なんだかホンワカした気分になりました

2012年6月29日 (金)

好みは変わらんのか?

初めてバナナボートを食べたのは、幼稚園に入る前の年やったような。

ケーキなんぞ食べられる身分でなく、また滅多に食べる機会もなく、今よりもっともっとケーキは特別なもので高価な時代。

東京に住む父の知人が「奥さんと子どもさんたちにどうぞ」とくれたものやった。

『東京の土産やぞ。美味いぞ。喰ってみぃ』と父。甘いものが駄目やったわたしは恐る恐る口にした。信じられん美味しさやった。それまで食べたなかでいちばん美味しいものやった。東京って何処にあるか知らんけれど、東京の人ってこんなものが食べられるんやぁ…と子供心に羨ましかった。

当時、四日市の近鉄百貨店の一階に「バナナボート」は売っていた。それを見つけたときは「おかあさん、バナナボートやに。近鉄でも売っとるよ」と小躍りしたよなぁ。

たまぁに四日市へ連れてってもらうと、帰りにバナナボートを買うてもらえることがあった。メッチャ嬉しかった。

甘いものが苦手やのに、食べられる洋菓子。特別な食べ物やった。だから「まるごとバナナ」が出たときは飛びついた。よぉ買うた。まるごとバナナが100円以下で安売りしとるときは必ず買うた。若いころは一つペロっと食べられたけれど、カロリー過多いうこともあり、いつの間にか母と半分コして食べるようになった。でももう何年も食べてへんなぁ。

初めてミスタードーナツを食べたのは、中一の夏。七月やったと思う。両親が四日市のビヤガーデンへ行き「子どもたちの土産」と、これまた当時、四日市一番街にあったミスタードーナツでエンゼルクリームとストロベリーを一つずつ買うてきてくれたのだった。「え?穴の開いてへんドーナツ?」とこのときも恐る恐る食べたなぁ いやはや、これまた忘れられん味である。

あんぱんだけでなく、ジャムパンやクリームパンに手を出すことは全然無い。甘いパンは食べる気しないって奴なのだ。そやのにミスタードーナツの、エンゼルクリームには嵌った。あのころは確か一つ70円。オールドファッションが80円やったよな。ショーケースにはいろんな種類があるのに、買うのはいつも「エンゼルクリーム」と「オールドファッション」やった。

いろんなケーキが食べられるようになっても、バナナボートは特別(もう「バナナボートとして売っている店は知らんし無いんちゃうかな?)。無性に「エンゼルクリームが食べたい~!」と思うこともしばしばある。店へ行けば、よっぽどのことがない限り「エンゼルクリーム」は買う。

好みは変わらんのかぇ?

今、運転している自動車は軽四やけど、運転したいのは五速or六速ミッションのスポーツタイプ。トルコンなんて運転する気にならん。もちろん本○車も。あれはサーキットのゴーカートと同じエンジン音やもん。張り合いない。

ここ数年好きな人なんて居らんけれど、好きになる人の顔や雰囲気は似たり寄ったり。

欲しい服は(このごろ、参加賞のTシャツしか着ていないが)20年くらい前とあまり変わらん。20歳前~20代後半に買うた服、いまだに持っているし着ている。まぁこれは日本製やから為せる業なんやろね。

髪型もあまり変わらん。かなり長かったことも刈り上げにしたこともあるけれど、だいたい同じ。高校を卒業してからはね。

人間の好みって、いつ決まってどれだけ持続するんやろ?

嫌いやったのにしとることって「走る」ことだけっちゃうかな?

あ、学校で「走らされる」のが嫌いやっただけで、陸上競技を見るのは好きやったなぁ。

ここ数日、仕事中のイライラから解放されたいとき、こんなことばかり頭の中をぐるぐるさせています。

好きなものと嫌いなもの。変わらんのかなぁ…。

2012年5月21日 (月)

金環日食の日

天文学って素晴らしいなぁ…と改めて感じた。

日時と場所を計算ではじき出せるなんて。

「わくわく&どきどきしていました」ってことはなく、「見られればエエなぁ」って程度しか思っていなかった。

今朝は起きたときから「こりゃアカンで」と思った。雲雲雲~。時折陽は差すけど雲の勢いが圧倒的に強い。

「行ってきます~」と家を出て、常に東を気にしながら運転した。でも雲ばっかり。青空はちらりとも見えない。

途中、鈴鹿川の堤防で金環食を観ようとするのか、東向いて停まっとる自動車を見たけど、殆どは諦めモードだ。小学生も中学生も登校の時間帯やけど、日食用のメガネを持つ子を一人も見なかった。

会社の駐車場に東向けて停めた。そこでも見えるのは雲ばかり。

「あ」と見たときは、部分日食の状態やった。金環には程遠い。そして部分日食もすぐ雲に隠れた。

一生に一度見られるかどうか分からん金環食。ちゃんと見ることが出来へんかったのは、なんて勿体無いんだろ?と思う。

「自然が相手やもん。部分日食でも見られれば御の字っちゃう?」とも思う。

日食が観測できる時間帯には仕事していて、外の景色云々は無関係という人だって大勢居るんだもの。

金環日食。生きている間に見ることが出来るんやろか?

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