仕事

2014年2月14日 (金)

花束

現職、つまり派遣社員を辞めました。

正式には明日付。実質今日。

給与の少なさだけでなく、「お山の大将」になりたい人に振り回されることに疲れました。

保身のためか、その人の言動、180度変わりました。ブチっと切れました。

ぎゃーぎゃー云うこと多いけれど、我慢強いほうやと思います、わたし。

せぇけど、あれは我慢できんかった。

あんた、何なん…???と。

年齢が年齢なので、雇ってくれる会社が果たしてあるのか?と不安だらけでしたが、なんとか見つけられました。

後任も「てきとー」に選んだようで、はっきり云うて彼女も気の毒です。

まぁ「お山の大将」になりたい人にとっては、仕事の面では大変やろけど手懐けるのは簡単でしょう。

望んでいたわけではないけれど「送別会を」と云う人は皆無でした。

ああ、そうですか。わたしってそんな程度やったのね。

ちゃんと挨拶しようにも、目を逸らされてばっかりでした。

厄介かけた人、かけられた人、お世話になった人には挨拶出来たと思うけれど…。

最後の最後まで居心地悪い職場でした。

「餞別に」ともらった花束。

なんだかなぁ…って思ったけれど、有難く頂戴しました。

来週より、「もう二度とするもんか!」と決めていた経理屋に戻ります

2011年12月28日 (水)

仕事納め

本当は明日が仕事納めなのですが、明日は計画年休ってことで実質今日が仕事納めでした。計画年休といってもわたしには有休が未だ無いので欠勤扱いなんですけどね。

始業からの二時間は何をしとるか分からんくらい忙しかったです。

「あれせぇ」「これして」のオンパレード。

月末になる度思うのですが、親会社の連中って自分らは何云うても許されると勘違いしてへんか?また現職場の「お客様は神様です」という体質も大いに疑問。そういう考えの人ってさ、自分が客の立場になった途端、横柄な態度に出るんやもん。変やわ。

社会人になって初めて勤めた会社はモノを売る会社:中間業者でした。得意先を大事にするのではなく、得意先以上に仕入れ先を大事にせなアカン、と教えられました。掛けで売ってもらうってことは、そういうことやって。

今は派遣社員なので現職場に対してはある程度部外者として見ることが出来ます。

けど、これが内部の人間となりゃ発作は頻繁に起こりそうです。

あの会社の考え方にはついてけんのです。

八時間仕事をさせてもらえれば、そんで充分。

人件費削減も大事ってのはよぉ分かる。けどさぁ、人あっての企業やんなぁ。

要るトコには人を配置しようよ。

一人の若い子が辞め、一人の若い子が精神病んで長期休暇に入ってしまったもんで、それを強く感じました。

仕事があるだけ幸せ、か。

いろいろ考えてしまう、仕事納めの日でした。

2011年12月 2日 (金)

仕事ぶつぶつ

九月より事務職復帰。営業事務っていうことなんやけど。

残業大嫌いやけど、ほぼ毎日残業しています。

週に四回は残業です。

営業事務、なので、主な人(営業担当者、工事担当者)が居るわけですが、どういうわけか、わたしの所属する部署の輩は殆ど事務作業を行ないません。あの会社というか、あの部署のシステムとして、男子社員は事務作業をせん、ってなっとるらしい。っていうか、わたしの前任者が何でも引き受けとったらしい。

そうでなくても日々てんてこ舞いしていて、時間内に対応できる量じゃないから残業しているのですが、「急ぎ」と言われて仕上げた書類はだーれも客先へ持っていきません。そこへ行くのに!

進捗状況が一目でわかる表はサーバにあるのに誰も活用しやへん。挙句の果て「見積書提出期限が過ぎているのは、日々知らせて」と云うてきた。「閲覧権限のあるのがわたしだけっていうならその指示の意味は解りますが、誰でも見られるのに何故そんな書類を更に作らなくちゃいけないんですか?」と反論。「この表を見れば済むことでしょう」とね。

何かってぇと「前の人はやってたよ」と云う。

へん 知るか、そんなこと そんなん、派遣社員の業務っちゃうわい。契約書に明記されとらへんわい。

アンタらの仕事、工事指示書に明記されてへんことは何もしやへんやろ と云いたかった。

で、挙句の果て「もっと頑張って仕事してもらわな」と言われた。

へ?既に許容量超えとるんやで。毎日暇こいて遊びまくってるんなら「もっと頑張って」と言われても「ははー」と従うわい。見たらわかるやろ。トイレへ行く間も惜しんで仕事しとるんやで。伝票その他書類を「はい」と投げ捨てるようにトレイに置いてくアンタらは涼しい顔して定時で帰る。わたしゃ連日それを納期に間に合わせるべく事務作業をひたすら行なっとるんやん。それやのに、「更に」仕事が増えるんか?

八時間で出来る仕事で充分や。正社員っちゃうねん。こちとら「時間いくら」の身分じゃ。

堪忍袋の緒が切れたんで「これ以上、どうやって頑張れというんですか?残業対応せなアカン量の仕事があるのに、さらに増やすってどういうことですか?〆前後に残業っていうのなら解ります。現状はそうじゃないでしょう?何かといえば『前の人もしてたから』と仰いますが、彼女はそれが嫌で辞めたんですよ。どうしても「やれ」と云うのなら、わたしは意に添えないので切ってもらって結構です 八時間仕事させてもらえれば充分なんです。自分の時間、これ以上潰されなくないんです 」と云うてもたがな~

指示出す人が先に帰宅するって変ちゃいますか?

また指示した人が、指示されたヤツ(わたし)が仕事しとるのに、それを放って帰宅するって変ちゃいますか?

派遣社員であれ正社員であれ、部下が仕事しとる間は必ず上長が居ました。一人で捌ける量か否かは上長が判断していました。一人では無理やと判断したら、誰かに振り分けたり納期を延ばしたり、線引きをしてくれました。こちらの状態を常に見てもらっていたので、安心して仕事が出来ました。心身壊した前職を除いてね。

御局様が云うには、わたしの前任者は細かいことまで引き受ける人やったそうです。「それは貴女の範疇を超えているでしょ」とどれだけ云うても聞かんかったって。ほやから、あの部署の人たちはそれに甘えて何もせんようになったって。

はぁ・・・・。

期間途中で切られても構へんわい、とさえ考えるようになってきました。

時間外手当も、一時間せんことには付けてもらえんのです。その後も30分単位です。5分単位で付けてもらえた会社が懐かしい…。契約書にハンコつく寸前にそれを言われました。その時点で断れば良かった。後悔先に立たず、です。

2010年7月31日 (土)

弱気

むっちゃ弱気になってます。

あの会社を辞めたのはエエが、予想通り、次の仕事はなかなか見つかりません。

症状はもう出ぇへん、と思ってたのに、先日本屋さんを出たトコから急に声が出なくなりました。

北海道マラソンまで一ヶ月を切った、というのに、ちっとも走れません。走り出すまで調子が読めません。

炎天下を一時間以上走るのは無理やなぁと、日陰を求めて青少年の森へ行ったというのに、4kmしか走れませんでした。ずっと歩いて二時間は運動し続けました。でも走っていない。何のために行ったんや?

手術を決めたのは、元気な身体になるためやで。

元気な身体が欲しいのは、走り易い身体が欲しかったからやん。

いっぱし仕事がしたかったからやん。元気に仕事したいからやん。

大きなストレスなんか目じゃない力が欲しかったからやん。

今、先の見えない迷路に突入してしもたような気分です。

この頃むっちゃ弱気になっています。わたし、萎縮してへんか?

このまま仕事見つからんのとちゃうか?と思えてくる。

働くことは未だ無理なんか?心療内科通院が続いてるってことは未だ無理なんか?いやいや、そんなん、ちゃうやろ。打破せなアカンやろ。

自信喪失したままでエエんか?アカンやろ。

どうしたら復活できる?克てよ。無心に走れよ。

迷路、早く出たいです。弱気はイヤ。

自信満々じゃなくてエエから、そこそこ自信ある自分に戻りたい。

自分の中の弱さがどんどん膨らんでいます。弱気な自分は嫌いです。

これが現実です。

2009年11月10日 (火)

二ヶ月経過

休職期間に入って二ヶ月経過しました。

走ること、ピアノ弾くこと、家事すること、そしてめりと戯えること。

これらが主な毎日です。たまに人込みに入ります。どっと疲れる日とそうでない日があります。

わざと人の大勢居るところへ行ってみたこともあります。

失敗多数 時期尚早やったかな

平気やったのは札幌へ行ったときだけかな。

大阪へジャパンパラリンピックの応援に出掛けて、僅かの距離を伴走したことが大いに助けてくれました。

完走できへん、関門突破できへん、という怖さは『誰かの役に立てた』という気持ちで払拭されました。とてつもなく大きな出来事でした。

しかし、『人の中へ行く』という前夜は身体が変です。何かぎごちない 当日は「大丈夫よ、大丈夫」と何度も暗示をかけるが如くブツブツ云うています。大丈夫やった、というときもあるけど、アカンかったことのほうが多いんやもの

先週の健康診断も前夜はとても苦しかった。何か違和感あり。喋りたくないけど喋らな始まらんという事柄がそうさせたんだろなぁと思っています。

《行きたい》《行かなアカン》と思って出掛けても無意識のうちに緊張しすぎて、どこかが硬直しちゃうんですよね。15日はそんな症状出ませんように。しっかり声出して、精一杯声出して、ガラガラになっても自分の声が届きますように。来月のフルマラソンでも自分を見失わずに居られますように。

先生は「貴女のが広いんだよ。それは悪いことじゃないし貴女のとても良い個性なんだけど、受け容れられない場面が多すぎるね」と仰います。

二ヶ月経過しても《生きる場所探し》は続いています。

健康診断結果が届いて、悪いトコ治したら、遠いトコへ行こうか。

脱皮するつもりで。

生きる場所は必ずあるよ

2009年10月17日 (土)

復帰のこと

昨日、所用で名古屋へ出掛けました。

平日の、午前10時過ぎってぇのに《快速みえ》は満員。座れません。

名古屋まで立っていきました。

近鉄と競合するんなら、せめて四両編成で運行してほしいよなぁ。

汽車(JR関西線名古屋~亀山間は電化してるけど、伊勢鉄道は電化されていない)には、明らかにビジネスマンと思しき人物が何人も乗っていました。

名古屋市内では、スーツ姿で闊歩する人、役所周りor銀行周りしていると思われる人等、沢山見ました。

少し前までの自分だ・・・・

そう思ったけど、未だ戻れる自信は全くありません。

自分の居場所が見つけられない。今更、なんだけど、何をしたいのか。分からへん。

いえ、したいことはあるんです。でもそれは、自分ひとりでは出来ない事柄。

今週初め、高校時代の友だちに久し振りに電話したとき「ほれぇ・アンタは真面目過ぎるの!」と説教(?)されました。

医者に云われたことと同じ

何年も会わなくたって、一聞けば十まで分かっている。

繊細な部分と大胆な部分が共存していること、その幅が広いこと、それが周りと摩擦し易いこと、など。

働いて、給与得て、糧を得て、また働いて、給与得て、糧を得て・・・の繰り返し。

仕事は仕事、と割り切っても、常軌を逸脱したことを強制してきた会社。義務を怠っているのに権利ばかり主張していました。わたしにはそれが耐えられなかった。企業会計原則も計算書類規則も無視する経理を行なえ、というような会社は堪えられなかった。経理屋として堪えられなかった。社会人として堪えられなかった。耐え切れず病気になった。

三ヶ月先の自分は見えなくても、ここからここまで、と線引きされていた派遣社員に戻るか?とも思ってしまう。

いや、あの会社が特殊なんだよ、と言い聞かせたり。

仕事復帰するハードルは高いです。潜れるとも思えません。

あの会社には戻れません。既にわたしの席は無いだろうから。それまでだって、仕事っつぅ仕事、させてもらってなかったしね

一人で生きること、仕事を続けること、生活していくこと、わたしはこれからも一人で立っていけるだろうか。心が折れるんちゃうか?今回みたいに。

いや、そうでない仕事を見つけることが困難で折れてしまうんちゃうか?

遠いところへ行こうか…

少なくとも、昨日見た《つい、この間までの自分》みたいな業務に就くことは外そうね。

2009年8月25日 (火)

きょうもトンズラ!

いったい何を考えてんだか… 

今度は「インフルエンザになったかも知れないから病院へ行きます」だって。

本日も始業直前にメールが入っていました。

相変わらず、子会社からは「送金した分、こっちへ送り返してくれ」だとさ。

んなもん、この会社は打ち出の小槌ではありません。

納付せなアカン金もないんだよ。クビ飛ぶの、覚悟で「切らなきゃ総崩れです」って進言しても誰一人動かない。

ここの人事課長、見事に『事なかれ主義』を絵に描いたような人で、休職どーのこーのを直の上司でない人に言うてエエもんかどぉかを迷っています。

今朝だってねぇ、身体がコチコチで動かんかったのを、はぁはぁ深呼吸を何度もして、ゆっくり、ゆーっくり動かして起きてきたんだよ!眠たくて起きられないのと違うんですよーだ。

ってさ、どんだけ言うても、ここの人たち、特に『長』と就く人たちは我関せず。

わたしもトンズラして許されますか?

2009年8月24日 (月)

トンズラ再び

今朝目は覚めているのに、なかなか動けませんでした。

もうアカン。そう思いました。

自分の席に着いたら、上司は出勤していませんでした。

メールを開いたら、始業少し前の時刻に上司からメールが入っていました。

「津方面へ出掛けるので、午後には出社する」と。

10時過ぎに「一つ目の用件終了。10:30からもう一箇所へ行く」と電話連絡がありました。

昼休み前にも一度ありました。

上司宛の電話は、子会社から、取引先から、社内から問わず、沢山掛かってきています。そのたび「今、出掛けています。午後には戻る予定です」と言うてきました。

午後2時を過ぎても未だ戻らない。

「今日はもう戻ってこやんのっちゃう?」と同僚と話しました。

携帯電話にかけるたび、即「留守番電話サービスに接続します」の機械音。

何度かけても同じ。

出社しないならしないで、ちゃんと連絡をよこしてください。

残された者が大変迷惑しています。

子会社からは「早く送金してくれ」と再三督促の電話が掛かってきています。

七月末が納付期限だった固定資産税の督促状も届きました。

公共料金ですら引落が出来ず、先々週、引落を延期してもらった分があります。

そんなんでも、わたしが勤める職場の社長は平気な顔しています。

資金調達するにも、銀行にも取引先にも頭を下げません。上司が出社するのが嫌になるのも分からないではありません。

社長は、頭を下げに行かせる人間が必要だから上司を咎めないのだろうと思います。

上司も、自分がそういう役目を負っていて、咎められないことを知っているから、何度もトンズラするのでしょう。

部下は堪ったモンじゃない

今日するつもりだった、休職or退職の件、明日話します。

果たして、明日わたしは動けるのだろうか。

果たして、明日上司は出勤してくるのだろうか。

2009年8月19日 (水)

午前も午後も通院

心療内科三度目の通院日。

いっつも仕事ないから休んでも構へんわ、と有給休暇を使いました。

午前中は眼科へ。わたしは結膜炎ではありません。ドライアイです

ドライアイとは長い付き合いで、彼是九年半になります。

今の眼科に通い始めたのは、えっとぉ…、七年くらいかな。

最初に通った眼科は、平日午前中しか診てもらえなくなったんで行くのを止めました。

朝、走り終えて、洗濯してから出掛けたので、医者に着いたのが11時過ぎ。約50分待って診察。ドライアイ以外では悪い症状はないそうです。よかった

午後(殆ど夕方)はメインイベント:心療内科へ。

先生に「ちゃんと自分の云いたいこと、云ってる?溜め込んでいるでしょ」と少しキツク云われました。

上司には何度もメモ書き・報告書・メール・目の前で訴える等しています。それでも全部糠に釘状態です、と話しました。

同僚も、わたしが何度も進言しているけれど無視されていることは知っています、とも応えました。

「厄介な仕事が来る、ってことは、貴女が信頼されているってことじゃないの?」とも云われました。

そうかも知れません。でも、その業務に関する情報は全く無しで、質問しても教えないんです、とも答えました。

先生との問答は続いたけど、「いつでも診断書出してあげるから心配しないで」と云われて本日の診察終了。

大きな企業なら《環境変える=配置換え》で済むんですよね。

オーナー社長の、中小企業ではそれが出来ません。

過去、経理担当者が五年も続かんわけです。

知識が無くても経理は出来る、と思われているから、それまでの経理担当者の努力も何もかも水の泡。引継ぎ期間無しでも大勢に影響無いと思っているのがあの会社。だから居なくなった途端「アイツは~~してった」「アイツは何もしてかんだ」「あんな偉そうな奴、最低やで」とボロクソ言われる。

わたしの前任者の悪口もいっぱい聞かされました。

わたしが休職or退職すれば、居ない間にボロックソ言われるのは火を見るより明らかです。でも、そんなん、どぉだってエエわ。

わたしは自分を守りたいもん。楽になりたいもん。

上司の尻拭いを部下がせなアカン会社で潰れたくないもん。

そんなことを再確認する一日でした。

2009年8月17日 (月)

盆休み明け

12日からの休みが終わり、本日より出勤再開。

昨日の夜「明日から、か…」と思っていたら、足に力が入らなくなりました。

気力で歩いた&運転した、ってカンジ

やっばぁ…  

休み中も、処方されたとおりに服用はしていたけれど、毎日「頓服薬」として処方された分まで飲まなアカンか????と、ビクビク

午前中は、声は出ました。

身体は異様なくらい強張っています。自分が自分でないみたい。

休み中との落差があるとマズイぞ&ヤバイぞ、と思っていたので、家の周りをうろちょろしていただけの行動でした。

友だちに会ってキャーキャー喋るのは危険だ、と思いました。

盆前、妹が「これ、おとうさんに上げて」と御供えを持ってきてくれたとき、甥と姪は「ばあちゃんトコで遊ぶ」とずっと居て、その日だけは彼等を連れて昼ごはんを食べに行ったけど、それだけ。走ることと夜の買い物(半額シール狙い)以外は、楽しいことから遠ざかろうと思いました。

そんな後ろ向きな考えで居るからアカンのよ、と言われるかもしれません。

「アレとコレと、アッチもコッチもする仕事あるよなぁ。でも回してもらえるかなぁ」と思っていたら、案の定、わたしを通り越して同僚に指示が出ていました

今日、処理せなアカン業務は上司のところで手付かずで止まっています。

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